
ダン・ケネディは、始めて出席したサクセス・セミナーで似たようなことを聞いた。彼は参加者のいちばん後ろの列に座った(逃げだしたくなったときに便利なように)。そして「私はいま自分がいたいと思う、まさにその場所にいる」と繰り返していた。
ケネディは、1960年型のシボレー・インパラを運転してこのセミナーにやってきた。その車は雨が降るとジョウロのように雨漏りし、後ろのトランクのふたは針金で固定されているような代物だった。パンクしても、彼はタイヤの交換をすることもできなかっただろう。なぜならこの車は、ジャッキを支えきれるほど堅固なものではなかったからだ。
ケネディはこの車を25ドルで買った。そしてこの車の状態は彼の人生のすべてを代弁していた。当然のことなから講演者が「あなたがいまいる状況は、すべてあなた自身が作りだしたものです」と言ったとき、ケネディは講演者の首を締めつけてやりたいような気分になった。
しかし、その後ケネディはこの言葉から、
支配 = 責任
責任 = 支配
彼独自の「成功の方程式」を生み出すに至ったのである。
成功を求める起業家は、あらゆることに全責任を負わねばならないということに、ケネディは気づいたのである。大人の95パーセントは、富と成功について間違った考えを持っている、と彼は言う。
私たちが本当に求めているのは支配力にほかならない。あなたの目標のすべてに共通するものは、その目標(収入、ライフスタイル、時間、休暇、商売、客、クライアント、従業員、製造元、子供、等々)に対する、支配権を得たいということにつきるのではないか。

しかし多くの場合、私たちは次のような言い訳をして、願っているはずの支配力を自ら放棄してしまっている。
「場所のせいだ」
「季節のせいだ」
「新しいライバル会社の宣伝のせいだ」
「景気のせいだ」
「パートナー、配偶者、社員のせいだ」
「工場のやつらがいいかげんだからだ」
「あんなばかげた法案を通過させたせいだ」
こうして罪を他になすりつけるたびに、私たちは二つのことを同時に達成している。罪の意識を軽減してくれる責任の転嫁、そして支配力の放棄である。
責任を否定すれば、支配をも否定したことになる。理屈はいたって単純である。
例えばあなたの部下の営業部長が3人のセールスパースンを採用し、芝刈機の実演販売のトレーニングを施したとしよう。
ある土曜日、あなたはセールスパースンの一人が実演販売を行うのを見るため、ショールームにやってくる。 ところが彼は機械のスタート・スイッチがどれだかわからず、やっと見つけてスイッチを入れたと恩ったら機械は暴走し、オフィスのカーペットを2センチばかり「刈って」しまう。もちろん販売など望むべくもない。
月曜日、あなたは販売部長のドンを呼んで釈明を求める。彼の最初の言葉は、セールスパースンを責めるものだった。
「あれだけ繰り返して教えたのに。あんな役立たず、今すぐ首にしてやります」
ドンの反応は無理からぬものだ。
そしてこう言うことによって、上司であるあなたとの目下の危機を切り抜けることもできるだろう。セールスパースンが本当に無能だったのかもしれない。しかし理由はどうであれ、販売部長のこの言葉は大成する人間の吐く言葉ではない。